濱崎道子 書の世界








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2005年04月29日

パロの町並み

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                      ブータン独特の町並み
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     店の入り口は狭いが窓がきられていて商品が見える

チョモラリ

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                           チョモラリ遠景
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                   ドゥゲ・ゾンから見たチョモラリ
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  ドゥゲ・ゾン
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                          ドゥゲ・ゾンの廃墟
                   
ドゥゲ・ゾンは1649年シャブドゥンが対チベット軍の防衛拠点として建造。「ブータンの勝利(ドゥクユゲル)」と名付けるけられ、行政・軍事の拠点だったが、1951年の火災によってゾンは焼け落ち、現在は廃墟になっている。ゾンの周囲からは遠くチョモラリ(7314m)が眺められた。モデルはブータン日本語ガイドのゲンボさん。

2005年04月27日

吉祥紋

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       宝瓶 (ブンパ)          黄金の魚(セニャ)
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       法螺貝(ドゥン)          蓮華(ペマ) 
ブータンではよく吉祥紋を見かけた。8種類の吉祥紋は「タシ・タゲ」といい、「タシ」は吉祥、「タ」は模様、「ゲ」は8を表す。吉祥紋は上記のほかに、「傘蓋・ドゥク」「無限の紐・ベルベウ」「最勝幟・ゲルツェン」「法輪・コルロ」がある。写真はタシチョ・ゾンのフェンスである。

2005年04月26日

パロ・ツェチュで

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               パロ・ツェチュで会った若いママと子  
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ゾンの中では帽子や傘は一切禁止と聞いていたがにわか雨に堂々雨傘をさす夫婦、進んでますね
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              朝はやくからパロ・ツェチュに向かう家族
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魔法瓶持参でツェチュ祭りに急ぐ人達・晴れ着姿が美しい

2005年04月25日

ダショウと呼ばれた日本人

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                             棚  田

西岡京治氏は1933年ソウル生まれ。1958年の西北ネパール学術探検隊(川喜多二郎隊長)、1962年の大阪府立大学東北ネパール学術調査隊(中尾佐助隊長)に参加し、ヒマラヤ地方の農業に対する関心を深めていった。1964年、コロンボ計画の専門家として夫人を伴ってブータン入りをする。
当時のブータンは鎖国に近い状態で、日本式の農業を認めてもらうのは困難であった。しかし、西岡氏の誠実な人柄と常にブータン人の立場に立って考える発想は、次第に支持者を増やし、ついには国王の肝いりでボンデに農場を誕生させるに至った。当時2年の任期であった滞在は、ブータン側の要望もあって1992年現地で亡くなるまで、実に28年に及んだ。1980年、西岡氏は国王より正式にダショー(貴族・政府高官などに贈られる爵位)の称号が授与された。これは、単なるパフォーマンスではなく、西岡氏が真にブータン人の尊敬に値する人物として広く認められたことを意味する。
お互い大使館を持たない2国の友好の歴史の中で、西岡氏の果たした役割の大きさは誰しもが認めるところである。  『地球の歩き方・ブータン』参照   『ブータン神秘の王国』西岡京治・里子著

2005年04月24日

民家訪問

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                           仏間の家具と壁画
民家を訪問しました。ブータンの民家は大きく立派な構えをしています。一階はおもに家畜小屋とか倉庫に使われ、人が住むのは2階です。急な階段を上ると、台所・居間・仏間がありました。台所は広く、ガス台もあり整頓されていました。居間は20畳ほどの広さがあり、板の間に絨毯が敷いてありました。中央には薪ストーブ、家具は少なく広々としていました。壁には家族の写真などが飾ってありました。奥の仏間は立派で客室も兼ねていて、ツェチュ祭に里帰りした息子さん家族が寝泊りしていました。仏間にはチョシャムと呼ばれる仏壇が安置され、周囲には見事な仏画が描かれていました。夜分の訪問にも関わらずバター茶とお酒の接待に、心温まるひと時を過ごすことができました。
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                                   仏間
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    台所                           居間 


2005年04月23日

ドチュラ峠

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                             ドチュラ峠の仏塔
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                    マサ・コン(7194m)が眺望できる

ティンプーからプナカまで車で3時間。途中ドチュラ峠(3150m)で休憩をとる。峠にはヒマラヤ五葉松が天空に枝を伸ばし、そのはるか彼方にはマサ・コン(7194m)が眺望できた。また、峠には2004年に建てられた108基の仏塔が整然と並び、周囲のダルシンは霊気に漲っていた。


2005年04月21日

魔除け

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ドンゲ・ゾン(城)の見学に行く途中の山道で、魔除けを売る少年に出会いました。なかなか売れないらしく渋い顔をしていましたが、一つ、また一つとわれわれの仲間が買いはじめ、忽ち完売してしまいまし。一日のノルマを果たした少年二人はホッとしたのでしょうか。満面の笑みで見送ってくれました。

2005年04月20日

ワンチュク国王

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                                タシチョ・ゾン
ブータンの政治制度は世襲王政であり、政教二立制である。政治面では国王が、仏教界ではジェー・ケンポ大僧正が最高権威者であり、両者は対等の関係にある。
ブータンの王政は1907年にウゲン・ワンチュックが初代国王に選出されてからの世襲制で、現国王は四代目のジクメ・センゲ・ワンチュク(1972年即位)49歳である。国王はけっして威圧的な存在ではなく、国民からの絶大な尊敬と信任を得ているという。国王が、国のレベルを計るのに基準にされているのが、GDP(国民総生産量 )ではなく、GNH(国民総幸福量)という指標を提案していることである。
2005年3月31日の朝日新聞によれば、「ブータン初憲法案」の見出しで、「立憲君主制を明記した成文憲法案が発表され、第一章で主権在民をうたい政体は民主的な立憲君主制、国王が即位できるのは21歳からで65歳で退位する」としている。
政府はこの憲法草案を全国民に配布して読んでもらったうで、今年度末に議会で制定する予定だそうだ。

2005年04月19日

パロ・サブジバザール

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 恥じらいながら乾物を売る少女・ここで乾燥きのこを買いました
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 小粒だが新鮮なくだもの   乾燥チーズは固くてカチコチ
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   スイカもあるよ        トウガラシの好きなブータン人                          

2005年04月18日

メモリアル・チョルテン

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マニ車をまわしながらメモリアル・チョルテンの周囲を巡る人達

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ティンプーの街の南にそびえる純白の塔、メモリアル・チョルテンは1972年になくなった3代の国王が生前に発願した事業を、1972年に完成させたものである。本来3代の国王の記念碑という意味はないが、メモリアル・チョルテンと呼ばれ、朝から晩まで周囲を巡る人達がたえない。

2005年04月15日

タシチョ・ゾン

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パロ空港から車で一時間半、ブータンの首都ティンプーに到着する。首都といっても静かな谷あいの街で、伝統的な文化を守り続けている。ティンプー中心はなんといっても国王のオフィスであり、宗教界の最高の権威者ジェ・ケンポのドゥク派の総本山でもあるタシチョ・ゾンである。この建物は、釘を一本も使わず、ミゾとホゾだけの木組みのブータンの伝統的な建築だという。ティンプー・チュの河畔に聳える.htm タシチョ・ゾンの荘厳さに近づきがたい威力を覚えた。

2005年04月14日

パロ空港

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パロ空港

早朝、バンコクから直行便 「ドゥク・エア」でブータンの空の玄関口、パロ空港へ。いよいよパロ空港に到着する時に左翼が山肌すれすれを旋回しているではないか。内心ハラハラしたが、無事に着地した瞬間機内には大きな拍手が湧き起こり安堵感に包まれた。ツェ・チュ祭の観光客で混み合っているにも関わらず、民族衣装の係員はじつにのんびりと仕事をしていて入国には手間取った。

空港から首都チィンプ-に向かう途中、バスの前に突然"STOP"のプラッカードを持った警官にが飛び出してきた。何事かと思いきや、これから飛行機が飛び立つので一時的に道路を不通にするということらしい。待つこと数十分、山間の小さな空港からの飛行機の離陸を今か今かと待ちわびていた我々の期待を尻えに、機首はゆっくりと左に旋回し、またゆっくりと滑走路を戻って行っただけのことであった。
到着早々、ブータンの日常を垣間見た出来事でした。

2005年04月13日

ビンロージュ

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                         パロ・ゾンにて 
ブータンでは真っ赤な口の人をよく見かけた。祭り見物の時、隣の席の女性もしょっちゅう口をモグモグさせているので気にしていると、懐からビンロージュの葉っぱを取り出し、それに白いクリーム状の石灰を塗って噛んでいた。嗜好品のだろうか、長い間の習慣で歯磨き効果や整腸剤にもなっているそうだ。
口中をを真っ赤にしながら、しばらく噛むと吐き出し、又新しい葉に塗って噛むことを繰り返していた。

2005年04月11日

八変化相

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     出番の合間に仮面を取って一休みする少年僧達
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2005年04月10日

パロ・ゾン

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パロ・ゾンの正式の名前はリンブン・ゾンといい、「宝石の山の城」という意味。この寺の元は15世紀にチベット帰りの僧によって建てられ、1645年に現在のゾンの基礎となる大建築となる。1907年の火災全焼により、その後現在のゾンが再建された。ゾンの構造は回廊式の外壁が四方を取り囲み石畳の中央に本堂が聳えている。                           
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2005年04月09日

タクツァン僧院

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               修復されたタクツァン僧院

山道を登ること2時間ほどのトレッキングでタクツァン僧院に到着しました。
8世紀にパドマサンババが西ブータンを訪れた時、虎の背中に乗って飛んできたと言い伝えられています。パドマサンババはタクツァン僧院で瞑想を行った後、八変化相の忿怒形 ドルジ・ドロに変身して、パロ地方の土着神を調伏し、仏教に改宗させたといわれています。

僧院はまさに宙を飛んできて岩棚に舞い降りたかのように、垂直に切り立った岸壁に張り付いて建てられていました。

1998年不審火で全焼し、2004年に修復が完了しました。2005年3月の26日にはブータンの王様が落慶式にお出ましとのことで、われわれの訪ねた23日には登山道のいたるところで軍隊が整備にあたっていました。

2005年04月07日

思いをかさねる

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5日間に渡って行われる法要「ツェチュ」の最中に、「チャム」と呼ばれる仮面舞踏が演じられる。チャムは悪霊のパワーを封じるための儀式であると共に、それを観る人々に目に見える形で仏法を説く布教活動としての意味合いもかねている。


ごった返す観衆に中、身じろぎもせずにジッとチャムを見つめる少年に、いつしら思いをかさねていた。

2005年04月06日

正装の女(ひと)

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ツェチュ祭に集まった人達は、民族衣装の正装で最高のおめかしをしていました

2005年04月05日

閻魔大王の裁き

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閻魔大王の裁き<ラクシャ・マンチャム>は、儀式的な要素の強いチャムとはちがい、民衆にわかりやすいテーマをとり上げたもので、人が死後、閻魔大王の前で裁きを受ける場面を演じた仮面劇である。これは、『死者の書』(パルド・ドドル)を脚色したものといわれている。

チャム

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                           広場に向かうアツァラ
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2005年04月04日

教育

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                    ワンデュ・ポダンの小学生


ブータンの教育は70%程の就学率で、ここ20年ほどで飛躍的に向上した。それまでの教育は、寺院で学ぶことがほとんどで、一部の上流階級の子弟がインドなどに留学する程度であった。

現在の義務教育は幼稚園1年 小学校6年 中学校4年高校2年 大学3年の学制で、すべて無料という。男の子は「ゴ」、女の子は「キラ」という民族衣装の征服を着用し、元気に登下校する学生に多く出会った。言葉をかけると快く応じてくれる。

其れもそのはず、ブータンの学校では小学校から英語教育が行われているので、どの子に話し掛けても話が通じるのには驚きであった。国際化を目指す国の政策の表れといえよう。

純真無垢な笑顔で接してくれる子供たちの瞳の輝きに、忘れかけていた郷愁を呼び覚まされる思いであった。

舞踏(チャム)

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一つ一つの舞踏(チャム)は、短いもので30分、長いものは2~3時間も続くので、毎日朝9時から始まり終わるのは午後3時ごろになる。
同じ踊りの繰り返しが延々と続くのを飽きもせずに見入る見物人。
踊りと踊りの合間に、または踊りも最中にこっけいなしぐさの道化が出てきてパントマイムで観客席をわかせている。中にはお布施を集める道化も居て、高額のお布施にはおつりを出すといったおもしろい光景にどっと笑いを集めていた。

2005年04月01日

ご開帳

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                         大仏画(トンドル)

午前1時半起床、2時出発、目指すはパロ・ゾン(城)の上手のデヤンカ広場、ツェチュ祭最後の朝に行われるトンドル(大掛仏)のご開帳を見学するためだ。未明にもかかわらず老若男女、子供も赤子までもが背負われて黙々と暗い石畳を上ってくる。

3時過ぎにパロ・ゾンからトンドルは運び出された。パドマサンババを中心にその妃や八変化相などが絹のアップリケで色鮮やかに描き出されたトンドルが静かに巻き上げられていくと、参拝者の間には低いどよめきのような祈りのつぶやきがもれ、荘厳な雰囲気であった。が、ご開帳が終わるや否や、いち早くトンドルに触れ功徳を積みたいと願う参拝者たちが、我先にとトンドル目掛けて進み出るので、人の波ででごった返した中庭には大きな人の渦が出来、移動するにも身動きがとれず、いつとはなしに自分も渦の一員となり小一時間ほど揉みにもまれて、やっとのことでトンドルに触れご利益をいただくことが出来たのでした。

胸に抱えたカメラをつぶされまいと必死に守りながらの
命からがらの参拝でした。





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