濱崎道子 書の世界








Copyright © 2004-2006 Six Apart. All Rights Reserved.


« 2005年05月 | メイン | 2005年07月 »

2005年06月29日

ダライ・ラマ法王生誕70年

syo10s.jpg
ダライ・ラマ法王生誕70年特別記念行事が行われます。
相田みつを美術館第 2ホールで、ミニトークセッション 
19:00~20:00があるようです。
ご興味のある方もいらっしゃるかも知れないのでご参考まで。

この7月、未知の会主催の旅行では、ダライ・ラマ14世の修行された青海省タール寺において、書・太極拳・茶道の文化交流を予定している。

花のいのちは…

honoki1s.jpg


taizanboku9s.jpg


taizanboku11s.jpg


taizanboku12s.jpg


      その時々の美しさ……

2005年06月28日

ヒッコリーミュジアム

maus.jpg.jpg
                                   舞い
ヒッコリーミュジアムでの日米展の作品を送りました。
日本の書の展示はめずらしいとのことで、関係者は大いに期待しているようです。
7月21日のオープニングには、「大字揮毫」のデモンストレーションが予定され、それを見たさに「避暑に出かけている人達も一時帰っくる」との頼もしいメールがありました。

「大字揮毫」を売り物にしている私としては頑張らなくちゃ!!

半夏生

hangesyo2s.jpg

深大寺水生植物園の半夏生群生を見ました。
半化粧ともいわれるとの説明書きがありましたが、清楚ながらも舞妓さんの白塗りの襟足を思わせるような艶かしさがあり、魅力的でした。
先日の展覧会で観た小倉遊亀さんが描く半夏生が脳裏に焼きついていたこともあって、より一層興味を持って観賞できたようの思います。

2005年06月25日

清水比庵深大寺歌碑

              
zindaizikahis.jpg
    
 門前の蕎麦はうましと誰もいふこの環境のみほとけありがたや
                            九十二叟清水比庵

zikagakis.jpg
                      上杉宅で直書き揮毫する比庵

深大寺植物園に行った折、仲間を案内して久しぶりに比庵先生の歌碑を見てまいりました。掃除の行き届きとどいた山門脇の静かな佇ずまいに、ひっそりと30年の歳月を重ねておりました。

深大寺歌碑は、1974年(昭和49年)10月6日に窓日短歌会・創立45周年記念行事として建立されたものです。110×160cmの巨きな石に直に墨で書く姿は、とても91歳とは思われぬ元気な姿です。石匠は高梁市の上杉儀一氏。彼は比庵に選ばれた唯一の石匠でした。

2005年06月24日

イザベラ・バード

yasimakaidous.jpg
八嶋街道…古代から由利と仙北地方を結ぶ忍道であった。中世、甑山修験道隆盛で、この道山伏の徒や詣人で賑わったと言伝えられている。元禄五年 岩城伊予の守が江戸参勤□□□している。
                   ☆
昔から新庄は蚊が多かったようだ。
イザベラ・バードの「日本の奥地紀行」にも記されている。第九信 金山にて 七月十六日に

-この湿気の多い気候のもとで、私は現在の弱った健康状態で、一度に二日か三日も気分よく旅行することは不可能である。また二晩も休息できるような美しくて静かで健康的な場所を見つけることは困難であろう。蚤や蚊からまったく開放されることは、とても望むべくもない。しかし蚊はところによって数が多かったり少なかったりする。-

甑山の蚊の大群は、イザベラが蚊・蚤・虻などの害虫に悩まされたという一文を思い出させる強烈な蚊達でありました。

2005年06月22日

森の巨人

okosikis.jpg
          男甑の名に由来するシンボル・仏の姿にも見える
budanokis.jpg
                       ブナの森の巨人・仏陀の木
budanoki1s.jpg
                  思わず手を合わせたくなる仏陀の木

2005年06月20日

甑(こしき)山

tyoukais.jpg
                          女甑山より望む鳥海山

梅雨の合間をぬって甑山に登りました。甑山は男甑・女甑の二つからなり、古くは修験の山だったそうです。
登山口に着くや否や新緑の森に響交うエゾハルゼミの大合唱には圧倒されました。
天を指すブナの木々の梢からは、頭上めがけて一斉に波動が降り注いで来る感じがします。あまりの威力に、しばし金縛り合ったように呆然と立ち尽くしてしまいました。
いい香りがします。すがすがしい霊気が身めぐりを包み開放感が満ちてきます。こんな気分は久ぶりです。深く深く息をしてみました。


身支度を整え、いよいよ登山です。
昨年は雪が深かったこともあり、ことのほか山は荒れていました。
今年になってからは誰も登っていないのでしょう、背丈ほどもある熊笹と倒木で道は塞がれ、道なき道を掻き分けながら、また時にはロープ伝いに岩場を登りながら、一時間程で男甑(900m)の頂に到着しました。
今年は想像を絶する程の蚊が大量発生していました。久々に美味しい獲物が来たとばかりに、払っても払っても執拗に全身めがけて刺してくるので堪ったものではありません。蚊の襲撃に耐え切れず、頂上での休憩そこそこに下山しました。途中から、再び登りはじめ、一時間ほどで今度は女甑の頂上に到着しました。こちらも男甑と同じほどの高さでした。
出立時は空を覆っていた雨雲も女甑の頂上に到着した時にはすっかりと晴れ上がり、みごとな鳥海山が姿を現したのです。
「わたしは晴れ女だ、きっと晴れると。」山を登りながら念じたのが功を奏したのでしょうか。ほんとラッキーなことでした。

2005年06月15日

蛙なく頃

ayame1s.jpg


早苗田に蛙がなく頃になると、幼い日のことを鮮明に想い出します。

二、三日帰省します。故郷の山を少し歩いてきます。


誰かが待っててくれるような気がするから。

2005年06月14日

南無妙ほうれん草

aoines.jpg
                    青い根のところ 南無妙ほうれん草

今年4月に恐山のお寺に赴任された南 直哉老師の法話を聞きました。
下北半島にある恐山はいたこ(口寄せする巫女)で知られていますが、当地で見聞きしたことを例にとりながら、霊場恐山の霊場たる想いについて語られました。

「霊場というのは、もちろん自然環境によるところは大きいのですが、自然環境のいい所は他にも沢山あります。恐山にも何かが加わってはじめて霊場として存在していると思うのです。ではその何かとはいったい何なのか?
夏になると全国から多くの方たちが霊場をめざしてやって来ます。よーく見ると、年配者なのにの重そうなリュックサックを背負いに、両手には大きな紙袋まで提げてやってくるんです。何も重い荷物を持たずに送っても良さそうなのにと思うでしょ。ところが、わざわざ遠くからご自身で運んでくるですね。その荷物の中身はというと、おかし、衣服、靴、人形などさまざまで、一つや二つではなく山のような数だというのですから、今時信じられない気がしますが、その行為が亡くなった人への深い想いなのですね。
亡くなった母親や子供や娘や夫に、もう一度会いたい、会って話したい、花嫁衣裳を着せてあげたい等の想いを全身に背負いやってくるのです。この想いを持ち続ける人たちがいるかぎり、その魂が自然環境やいたこ等と融合構成し合い、じめて霊場として成り立っているということなのです。
あの世の人達がやって来る所だから霊場になるのではなく、この世の人達が今は亡き愛した人たちと魂を通わせる場に、毎年お参りのやって来る、その行為が続くからこそ、恐山は霊場として存在続けるのではないかということです。ですから、夏の時期は次から次への供物で山中が物にあふれ、清掃が追いつかずごみの山になることもある。」
というような話しでした。私が数年前に訪れたのは若葉の季節であったが、恐山には一木一草もなく、ただ茫々たる天空に不気味に立ち昇るイオウの臭いと、セルロイド製の風車がカラカラと廻る音が妙に心に沁み、しばしの安らぎを覚えた記憶があるのです。

2005年06月12日

「空」の心

yamabousis.jpg
                          ヤマボウシ
生命学者・柳澤桂子さんの心訳般若心経『生きて死ぬ智慧』を読みました。36年間も原因不明の病に苦しみ、孤独に耐えた日々に培われた深い深い言葉が心にずっしりと響きました。


真理に対する正しい知恵がないということもなく
それが尽きるということもありません
迷いもなく 迷いがなくなるということもありません
それは「空」の心をもつ人は
迷いがあっても
迷いがないときとおなじ心でいられるからです


「無無明 亦無無明尽」の心訳です。迷いがあっても、迷いがないときと同じ心でいられる、そんな心の持ち方が出来るようになりたいものです。

2005年06月11日

洪頂山

daoku2s.jpg
                    洪頂山摩崖経「大空王佛」拓本


daiku3s.jpg
              東平県洪頂山北壁に刻された「大空王佛」

daiku1s.jpg
          洪頂山南壁から北壁に刻された「大空王佛」を撮る

梅雨入り

biwa.jpg

   
ついに関東地方も梅雨に入りました。

  しとど降りしきる夕べに枇杷の実を発見。

  一日中、何となく湿っぽかった気持ちが、

    ちょっぴり軽くなったようです。


今夜の座禅会は、雑念が往来し筋肉痛になりました。

2005年06月10日

この木なんの木

nannoki2s.jpg

北朝摩崖石経のシンポジジュームに参加した時に撮影した「ポジフィルム」をスキャナーしたくて "CanoScan 8400F"を買いました。が、まだ使いこなせません。説明書をよく読んで学習しますので、もうしばらくお待ち願います。


2005年06月07日

大空王佛

daikuobutu1s.jpg

 北朝摩崖石経 尖山・大空王佛拓本 安道壱の書


2002年、「中国山東北朝摩崖刻経考察・学術交流」のシンポジュームに参加し、安道壱の書を知る。その際に求めた
『中國書法全集 / 劉正成主編  12 三國兩晉南北朝編摩崖刻經巻 / 頼非主編』の中から、「これが文字か」と思われるようなユニークな書を紹介してみたい。

2005年06月05日

六月の風

kazef s.jpg

集中力と言うのか緊張感というのか、テニス全仏オープンを制したラファエル・ナダル(スペイン)の試合をテレビで観戦した。19歳と2ヶ月の青年の根気よい守りに、いつしらに魅了され、徹夜の連ちゃんになってしまった。皆から「若いね!」と、冷ややかなお言葉ありき。


2005年06月04日

青海省塔青尓寺(タールジ)

tkikou01.jpg
                          日月山

青海省塔青尓寺における文化交流とシルクロード敦煌の旅                                          

1、 7月 9日(土) 成田 ——— 西安—————西寧      
   
2、 7月10日(日) 塔尓寺下見、観光、打ち合わせ、準備等
          現地書法会・太極拳同好会・茶愛好会と交流会
 
3、 7月11日(月) 西寧―日月山―青海湖―砂漠―金銀灘    


4、 7月12日(火) 午前:晒大佛・・巨大タンカのご開帳
     午後:文化交流(大字揮毫・ジョイント揮毫・茶道披露)
     土族民族村訪問              
 
5、 7月13日(水) 朝、中央公園にて太極拳交流及び合同練習
            西寧市内観光・清真寺・水井港市場・北禅寺
            夕食後:チベット族民族舞踊の鑑賞       

6、 7月14日(木) 西寧―大通―張掖―嘉峪関     


7、 7月15日 (金) 嘉峪関観光―安西―柳園―敦煌      
 
8、7月16日(土) 敦煌――莫高窟千佛洞―博物館見学           
       or西千佛洞 ・敦煌古城
 
9、7月17日(日)  敦煌 陽関――玉門関
                 夕方:鳴沙山・月牙泉      

10、 7月18日(月)敦煌―西安 (兵馬俑坑・大雁塔見学・碑林) 
     夕食は民族舞踊を鑑賞しながら
 
11、 7月19日(火) 西安————————成田            
              

2005年06月02日

金銀灘

tkikou14s.jpg tkikou02.jpg
                          チベットアムド地方
「金銀灘」、聞いたことの無い言葉ですね。実は中国青海湖の北東に広がる草原盆地のこと。
この草原では、チベット遊牧民の羊が群れる頃になると、時期を違えながら黄や白色の花が一斉に咲きほこり、次第に金銀色に移り変わっていく様子から「金銀灘」の名で呼ばれるようになったそうです。

1943年頃、中国映画(何の映画か?)のロケがこの地で行われのを機に全国に紹介され、民族音楽家・王洛賓と大牧場主の娘とのラブロマンスまでもが生まれた。その彼は、この地の唄をもとに作詞作曲をした唄が、長いこと中国民族の唄として多くの人々に歌い継がれてきた経緯もある。

ところが、1955年を境に、この地名は地図上から消えることになる。原爆、水爆の開発実験基地となったからである。しかし、今から20数年前に基地としての任務は終わり、(実験場はロプノール付近に移った)それ以後はチベット族の民族歌舞などが楽しめる観光地として、レストラン等が設営されている。ただし、外国人は入場不可。これも現地ガイド情報です。

2005年06月01日

土族民族村

hukuros.jpg
          (写真は土族民族村には関わりがありません)

6月に入ったら俄かに忙しくなってきた。7月に出かける旅の下準備に追われている。最近の中国各地の急激な変化発展には眼を見張るものである。そこで、最近のガイドブックを4~5冊買い求め、旅先についての情報を調べている。
この度訪ねる青海省の近くの土族民族村は、ガイドブックにもさわり程度の記載で、ほとんど知られていなかった。最近になり、現地ガイドさんから情報の一部を聞くことが出来たので紹介したい。

長い間、蒙古人が青海省近辺で漢族と戦いを続けているうちに、次第にその地に住み着き、土地の農民と婚姻を重ねていくうちに、混血した一つの民族が出来、土着していったのが土族だという。
現在は青海省にのみ住み独自の言語があるが、文字を持たないため詳しい歴史は不明。祭日や記念日などには、独自の民族衣装を着て踊ったりするが、日常生活は漢民族と変らぬ農民生活をしている。





3行伝言板