濱崎道子 書の世界


 
2007年9月
- YEBISU GARDEN PLACE 13th Anniversary Event -
    『書(KAKU)~想い、筆にのせて~』を開催

9/24(祝)に濱崎道子が出演します。
詳しくは 、 ガーデンプレイスをご覧下さい

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2005年06月14日

南無妙ほうれん草

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                    青い根のところ 南無妙ほうれん草

今年4月に恐山のお寺に赴任された南 直哉老師の法話を聞きました。
下北半島にある恐山はいたこ(口寄せする巫女)で知られていますが、当地で見聞きしたことを例にとりながら、霊場恐山の霊場たる想いについて語られました。

「霊場というのは、もちろん自然環境によるところは大きいのですが、自然環境のいい所は他にも沢山あります。恐山にも何かが加わってはじめて霊場として存在していると思うのです。ではその何かとはいったい何なのか?
夏になると全国から多くの方たちが霊場をめざしてやって来ます。よーく見ると、年配者なのにの重そうなリュックサックを背負いに、両手には大きな紙袋まで提げてやってくるんです。何も重い荷物を持たずに送っても良さそうなのにと思うでしょ。ところが、わざわざ遠くからご自身で運んでくるですね。その荷物の中身はというと、おかし、衣服、靴、人形などさまざまで、一つや二つではなく山のような数だというのですから、今時信じられない気がしますが、その行為が亡くなった人への深い想いなのですね。
亡くなった母親や子供や娘や夫に、もう一度会いたい、会って話したい、花嫁衣裳を着せてあげたい等の想いを全身に背負いやってくるのです。この想いを持ち続ける人たちがいるかぎり、その魂が自然環境やいたこ等と融合構成し合い、じめて霊場として成り立っているということなのです。
あの世の人達がやって来る所だから霊場になるのではなく、この世の人達が今は亡き愛した人たちと魂を通わせる場に、毎年お参りのやって来る、その行為が続くからこそ、恐山は霊場として存在続けるのではないかということです。ですから、夏の時期は次から次への供物で山中が物にあふれ、清掃が追いつかずごみの山になることもある。」
というような話しでした。私が数年前に訪れたのは若葉の季節であったが、恐山には一木一草もなく、ただ茫々たる天空に不気味に立ち昇るイオウの臭いと、セルロイド製の風車がカラカラと廻る音が妙に心に沁み、しばしの安らぎを覚えた記憶があるのです。










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