濱崎道子 書の世界



2007年アクション

1月  濱崎道子小品展 ・ 終了しました
    2007年1月9日(火)ー21日(日)
    町田市/ギャラリー・マチス    

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2006年12月31日

テラウラコット

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             ヒンズー教の寺院の入り口立つ像の親子像
                      

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                        テラウラコットの案内図
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テラウラコットは、ネパール側の釈迦の故郷といわれているところ。釈迦の故郷は、ネパールかインドかはっきりしていないが、今回現地を見た限りではインド側のピブラワーの遺跡の方が、現実らしく思えた。
緑地公園の中に遺跡が点在し、近くにはヒンズー教の寺院がある。休日の午後、多くの人が集まり歌や踊りで賑わっていた。

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2006年12月30日

クシナガルの落日

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                                   30.11.06


ホテルのすぐ近くに日本寺があると聞き、夕方訪ねてみた。本堂にはお釈迦さまを中心に十大弟子の版画が飾られていた。棟方志功の版画に似せてあった?かな。寺にはミャンマーの僧がいて「お茶を飲んでいくか。」といわれたが、閉門間際だったので辞退した。その帰り、寺を背景にした大きな落日に出会うことが出来た。

2006年12月29日

クシナガル・1

ベナレスから約7時間かけてクシナガルに到着。ロータス・ニッコウホテルで昼食後、ブッダ入滅の地の見学をする。仏典によるとクシナガルは中インドにあった末羅国の都市で、ブッダはこの城外の跋提(ばたい)河西岸の沙羅林で入滅したという。80歳であった。
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写真手前の白い建物が涅槃堂。ブッダ入滅の地を記念してミャンマー人が建てた白い漆喰塗りの瀟洒な寺院である。堂内には左右いっぱいに横たわるビルマ様式の涅槃像がある。後ろの建物は、ブッダ滅後遺骨を納めるために築かれたという伝説のストゥーパで、近年修復された。
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涅槃像は5世紀初めに造立。全長は6m余。インドにおいて大きな仏像は珍しく、アジャンタ第26窟の入り口左壁に彫られている涅槃像浮き彫りを除いては、このような丸彫りの大仏像は、この涅槃像だけである。金色の布で被われていた。
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穏やかな顔といい、足裏といい、自ずと跪きたくなる表情である
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ラーマ・ババール・ストゥーパ(荼毘塚):ここでブッダの遺骨が荼毘に付されたといわれる。ブッダはチュンダという鍛冶屋が差し出した料理を食べて腹痛を起こし、これが直接の死因になったという。料理に使った毒キノコのためとも豚肉のためともいうが、いずれれにせよブッダは、それをチュンダの過失と責めないように弟子達に諭した。
2月15日の満月に夜、2本の沙羅双樹の間に身を横たえた。その時木々は一斉に時ならぬ花を開き、草も木も虫や獣にいたるまで、ブッダの生涯の終焉を見守ったという。

2006年12月27日

2006年12月26日

サールナート2・ムルガンダ・クティ寺院

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鹿野苑の横にある新しいムルガンダ・クティ寺院は、1931年の建立。壁一面にブッダの生涯が描かれていた。戦前に日本人画家、野生(のうす)香雪の描いたものである。29.11.06

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この寺院で、手足いっぱいに彩色模様をした人にであった。
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2006年12月25日

サールナート・1

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サールナートは、ブッダが初転法輪(始めて説法)をした鹿野苑の地。ブッダはブッダガヤで悟りを開いた後、雨季直前の酷暑の季節に10日以上かけてサールナートへ向かい、ここで解脱の中道を説いた。その後、仏教徒の偉大な皇帝アショカ王は、この地に壮大な仏塔と修道院を立てた。
鹿野苑(ろくやおん)とは、シカが放し飼いにされていた園の意味で、当時多くの苦行者や修行者が集まっていて、リシ・パタナ(聖仙たちの集まるところ)といわれていた。現在、ディア公園と呼ばれる緑地帯の中に遺跡が沢山残っている。
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                               遺跡群の数々
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                      遺跡近くで瞑想をする巡礼者
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                              左写真下部分
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                          石柱に刻まれた銘文                          

2006年12月24日

パーラト・マータ寺院

パーラト・マータ寺院は、1917年建造のヒンドゥー教寺院で、「母なるインド」という意味。中には大理石で出来た大きなインドの立体地図がある。壁にガンジーの肖像画が一枚飾られているのみの殺風景な寺院なのに、写真撮影料は10ルピー。ここで1000円で買った写真集『ベナレス』、これは翻訳も正しく助かったが、友人の求め本は、何を書いているのか分からない日本語訳であった。 
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                               インドの立体地図
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   ガンジーの肖像画        寺院の外で写生をする学生

2006年12月23日

ヒンドゥーの神々

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ビシュワート寺院は、ベナレスで最も神聖なヒンドゥー教寺院で、宇宙の支配者であるシヴァ神に捧げられている。塔に800kgの金メッキ使われていることから黄金寺院とも呼ばれている。残念ながら写真撮影禁止だった。ここからパーラト・マータ寺院までの道は狭く迷路のようであった。その道すがらに「ヒンドゥーの神々」が軒先に点在していた。さり気なく花や葉っぱが供えてある。
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2006年12月22日

ガンジス河

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                      ガンジスの日の出 29.11.06
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ホテル出発5:30、早起きをしてガンジス河の日の出と沐浴風景を見に出かける。暗いうちから観光用のボートに乗り込んで日の出を待つこと小一時間。ついに空が明るみ始め厳かにご来光が昇る。あまりの静寂さに、誰一人として声を発するものがいない。しばらくして感嘆のざわめきがおこり、聖なるガンジス(現地名は聖河ガンガー)の幕開けとなった。日の出とともに沐浴をする人、洗濯を始める人たちで河は賑わう。

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ベナレスの町を流れるガンジス河は、インドで最も聖なるヒンドゥーの聖地中の聖地でシヴァ神の聖地である。河そのものが神格化された女神「聖なるガンガー様」として崇められている。ヒンドゥーの信仰によれば、ガンガーの聖なる水で沐浴すれば、全ての罪は清められ、ここで死に遺灰がガンガーに流されれば、輪廻からの解脱が得られるという。この町には年間100万人を超える巡礼が訪れ、中にはここで死ぬのを目的にしている人もいるという。

2006年12月21日

マハボデイ・エクスプレス

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   マハボデイ・エクスプレス 28.11.06    列車内の販売員  


マハボデイ・エクスプレスに乗って、ガヤからベナレスまでは約3時間の旅である。三段ベッドの寝台車で、日中は下段が6人がけの座席になる。商用を済ませデリーに帰るというインド人兄弟と連れ二人と同席した。彼らはブロークンの英会話に付き合ってくれ、日本茶も出されるままに飲んでくれたが、よほど渋かったらしく直ちにアマーイ菓子を取り出し、私達にも進めてくれた。会話が進むうちにターバンについて尋ねると、立派なおひげのお兄さんが帽子を脱ぎ、私に被せてくれたのにはビックリ!!。長い帯状のターバンかと思ったら、今は簡易な帽子になっているんですって。これまた驚きでした。彼らはカメラに興味を示し互いにスナップ写真を撮りあい、短時間の列車の旅を楽しんだ。
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2006年12月20日

ガヤ駅からベナレスへ

ブッダガヤからベナレスに移動するのに、ガヤ駅から「マハボデイ・エクスプレス」に乗った。発車まで時間があったのでホームに出てみた。ここも列車を待つ人達でごった返し民族の坩堝である。列車を待つ客のほかにも、揚げ菓子をこねる人、大きな袋を頭上に載せて運ぶ人、靴磨きの少年、バナナ売りの少年は笑顔でポーズをとってくれた。ワンちゃんも活躍していましたヨー。ガヤ駅は、客車・貨物車が次々と入ってくる大きな駅だった。
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                        ガヤ駅ホーム 28.11.06
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        磨きの少年        こんな光景も見られました
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                           バナナ売りの少年
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2006年12月18日

インドで見たこと・スジャータ村

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                           前正覚山 28.11.06

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 スジャータが住んでいたとされる場所にストゥーパが建っていた

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                               スジャータ村
                               
スジャータ村は、ブッダに乳粥供養をした”スジャータ”の住んでいた村。レンガ造りのストーパ一つあるだけで、刈り入れの終った稲藁がうずたかく積まれた何んの変哲のない場所である。村の北東には、ブッダが悟りを得る前に苦行した「前正覚山」が見えた。ブッダは「前正覚山」で食を断ち、あるいは悶絶するまで呼吸を停止するなどの修行を続けたが、日々に肉体は衰え極限にまで達した35歳の11月に、極端な苦行では悟りは得られないことを知り、尼連禅河の水を手に受け身を清めた。その時、既にブッダの身には荘厳さが備わり、おりから通りかかった村娘スジャータは、神に備えるために運んでいた特別の乳粥をブッダに捧げた。スジャータには、ブッダの身体から金色の光が放たれているように見えたという。

2006年12月17日

インドで見たこと・7 仏教寺院

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              チベット僧院で修行をする少年僧 28.11.06
小豆色の僧衣を着たチベット僧が集うチベット僧院、少し離れて中国寺、タイ僧院、その先に日本寺があった。日本寺は日本の各宗派が共同で建立したもので、朝夕2回勤行と座禅がおこなわれる。
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                           日本寺を参拝するひと
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日本寺では宗教活動のほかに、園児200人を無料保育する「ぼだいじがくえん」を見学した。
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                           人なつっこい園児たち
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                          ダンスの得意な女の子

2006年12月16日

インドで見たこと・6 ブッダガヤ

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                   マハーボディ寺院  28.11.06
マハーボディ寺院:紀元前3世紀にアショカ王が寺を建てたその跡に築かれた。50mの大尖塔を持ち、華麗な建物の内部には、大きなブッダの金箔像が収められている。釈迦が出家して6年、35歳の誕生日に当る紀元前428年の4月中旬から5月中旬の満月の夜、成道(さとり)の時がやってきた。ブッダ(とは真理に目覚めた者)の誕生である。

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                             ブッダの金箔像              
寺院の隣にある菩提樹の下で、釈迦は代わる代わる襲いかかる悪魔を降伏させ、ついに<縁起の法>ーこの世にあるものは全て因と縁が関わりあって果が生ずるーという真理を悟ったのである。今では柵に囲まれた4代目の菩提樹が立っていた。その根元には仏足が置かれ、これもガラスに被われていた。
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      菩提樹の前で参拝する人たち.五体倒地をする人もいる
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                                    仏足

2006年12月15日

インドで見たこと・5 ラージギル・竹林精舎

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                   竹林精舎にある菩提樹 27.11.06
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                              竹林精舎跡の池
比丘たちの生活は一所不住の遊行が原則だが、雨季の間は一ヶ所にとどまって集団生活(雨安居・うあんご)をするのが慣わしであった。ビンビサーラ王は、ブッダや比丘たちに食事を供養し、精舎を寄進したいと申し出、ラージャグリハ郊外の最適な場所にある竹林の園を選んでブッダに寄進した。この<竹林精舎>の寄進・建立によって、初めて仏教集団の拠点が生まれた。
現在公園のようになっていて、池には水鳥が泳ぐ穏やかな雰囲気であったが、管理にあたる制服警察官がぴったりと後を着いて来て、「マネー、マネー。」と執拗に声をかけてきた。
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ラージギルでは、ビンビサーラ王が、息子のアジャータシャトルに幽閉され、死を迎えた牢獄跡を見た。。

2006年12月14日

インドで見たこと・4 ラージギル・霊鷲山

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                       霊鷲山で水を運ぶ女・ひと
ラージギル(昔の名は、ラ^ジャグリハ・王舎城)は、5世紀にアジャータシャトル王が、パータリプトラ(現パトナ)に遷都するまで、ここがマダカ王国の首都であった。ジャイナ教の聖地でもある。
                     ☆
先ずは霊鷲山(りょうじゅうせん)に登る。ここは、ブッダが弟子に説法をしながら過ごした山で、頂上にある岩が鷲の翼を広げた形に似ていることから付けられた名前である。頂上にはブッダが瞑想・説法したといわれる跡がある。花を手向けしばし瞑想をしていると、今から二千数百年前にお釈迦さまがこの地に 実在していたという実感が少し湧いてくる。 下る途中に弟子達が瞑想したといわれる洞窟も残っている。登りはリフトを利用し、下りは舗装した道を下る。
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  リフトから降りて下る眼下に霊鷲山頂上が見える  27.11.06
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                               霊鷲山頂上 
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上記写真右レンガ囲い内部分がブッダの瞑想・説法したといわれる跡で花を手向けてしばし瞑想した。
                         

 

2006年12月13日

インドで見たこと・3 ナーランダ

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                        ナーランダ僧院跡 27.11.06

ナーランダは、紀元前5世紀に創設された世界最大級の大学。12世紀にアフガニスタン人に破壊されるまで仏教学の一大中心地であった。インド各地を旅した唐の玄奘がここに滞在した時(685年~762年)には、一万人の学窓が寄宿していた。
現在は、11の僧院跡と14の寺院跡が残っている。当時は、現在の10倍もの規模であった。
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                   巡礼者、見学者があとを絶たない
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                先生に付き添われて見学に来た小学生

2006年12月12日

インドで見たこと・2 パトナ

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             パトナからヴァィシャリに移動中に出会った親子


パトナは、ビハール州の首都。仏跡観光の起点となる町。昔はパータリプートラと呼ばれていて、紀元前5世紀頃のマガダ国の首都であった。紀元前6世紀頃になるとマガダ国・コーサラ国など16大国と称される王国や部族国家が成立する。諸国の首都では商業が発達し、国境を越えた交易活動が盛んになり、刻貨幣の使用も見られるようになる。都市には新しい思想を招く者が集まり、「自由思想家」と呼ばれる彼らの多くは、ヴェーダ聖典やバラモン教の祭式主義に反する潮流が大きく台頭する。
そんな時代と地域に、シャーキャ(釈迦)族の太子、ゴーダマ・シャダールタが誕生する。
                   ☆
ビハール州は、2000年11月、2つに分離。鉱山資源に恵まれた南部が独立し、新たにジャールカンド州となった。ビハールはブッダの生涯と切っても切れない関係にあり、彼は人生の大部分をここで過ごした。ビハール州の平均所得はわずかばかり、全州の中でも最低の識字率。ストライキとデモ行進は当たり前の問題の多い州。

2006年12月11日

インドで見たこと・1 ヴァイシャリ

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           ヴァイシャリで会った稲藁を担ぐ少女 26.11.06


「一度は行ってみたいインド」行きがついに実現。「釈迦八大仏跡のツアー」に参加。想像以上に強烈であった。乾季の今はどこも埃っぽく、人・人・人のごった返す町はどこもゴミの山で溢れ、町の中にゴミがあるのか、ゴミのな中に町があるのか分からないほど混沌とした世界であった。人ばかりではなく、車のビュンビュンと通る交差点を悠然と牛や犬がまかり通り、牛や犬が通り過ぎるまで車はストップしているといった、いわゆる人間と動物の共存が何の違和感もなく存在している世界でもあった。この国に生きる人々の90%は貧民層で残り10%の金持ちに支えられているというガイドの説明であったが、町で出会う多くは90%の人達なのだろうか。みんなが同じでなければいけないという日本とは大違い。色んな衣服や考え方や生き方の人々がそれぞれに懸命に生きるている。どのような生き方や格好をしていても、他人には干渉せず、各人が生きるために精いっぱいで他人のことなどにはかまっていられないといったところだろうか。日々を必死の生きる人たちのパワーに圧倒されるばかりであった。とにかく強烈で気の小さい自分は全身に鞭を当てられているような感があり、どうしても、仏跡めぐりよりもそこに住む人々に眼がいってしまった。今思うにインド滞在中には一度も深呼吸が出来なかったような自分である。

                   ☆

ヴァイシャリはシャカ滅後100年経た頃に、第2回目の仏典結集(仏典編纂のための集会)が開かれた町として知られ、それを記念したアショカ王の石柱が今も立っている。ブッダと比丘たちが滞在した、高級娼婦アンバパーリーの所有する林のあった跡で、今はブッダの遺灰が収められているといわれるストゥーパが残っている。

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                              ヴァイシャリの仏跡
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                            アショカ王の石柱頭部
アショカ王:紀元前3世紀ごろ、マガダ国に君臨したマウリア朝第3代の王。インドを統一し、仏教を保護することを宣布し、世界的宗教として第3回仏典結集を行ったという。王の活動は、石柱に刻まれて遺存されている。

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                       夕日に染まるアショカ王の石柱





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