濱崎道子 書の世界



2008・Action 

1月:座禅断食会@総持寺
4月:1日・奈良薬師寺「花会式」で演舞太極拳出演参加
   4/26-5/24 「玉堂・比庵」展 青梅・玉堂美術館
6月:ふれあいコンサート・山形 文翔館
9月:濱崎道子書展・銀座鳩居堂 

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2007年06月24日

清水比庵プロフィール

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                            歌人・清水比庵

1883年 2月8日岡山県上房郡高梁町(現在高梁市)に生まれる。
1905年 京都帝国大学入学
1908年 京都帝国大学法学部を卒業、司法官となる。
1910年 判事に任官、後に退官。安田銀行に入社。
1915年 安田銀行横手支店に転勤する。青森に転居する。
1917年 安田銀行を退社、古河銀行に入社。
1924年 古河電気工業株式会社に入社。
1928年 古河電気工業日光電気精銅所経理課長になる。

1929年 二荒短歌会を主宰し、雑誌「二荒」を発行する。日光電気精銅所を退職する。
1930年 日光町より懇望されて名誉町長に就任。在任中同町の観光開発の基礎を築く。
1935年 号を「比庵」と改める。
1939年 日光町長を辞し、市川市に住む。
1942年 川合玉堂の実弟清水三渓と「野水会」を創立し、第1回展を銀座紀伊国屋書房画廊で開催する。以後15回展まで開催、32年玉堂死去により終結する。
1959年 郷里を中心として毎年個展を開催する。この頃、歌碑建立が続く。

1962年 奥村土牛、小倉遊亀、酒井三良の賛助を得て清水三渓と「有山会」を創立、第1回展を銀座松      屋で開催する。

1966年 宮中歌会始の儀の召し人となる。
1968年 歌誌「下野短歌」は「窓日」と改題、その主宰となり没年に至る。以後、精力的に短歌の指導
並 びに書・画・歌三芸なる作品発表を続ける。

1975年 10月30日永眠 享年92歳8ヶ月
                             

清水比庵展実行委員会
http://www.michinokai.com

2007年06月23日

うぐひすの…

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      竹やぶのなかにて鳴けるうぐひすの
               梅の枝にはいまだきたらず  比庵

2007年06月22日

比庵松

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山の上の一つ老松誰をまつ年々に来てわれは見にけり
                           比庵 九十一


比庵は、「松を描くのにえらい苦労した。」と述べている。幾度も幾度も描きながら、九十一歳の松を描いている。

2007年06月21日

家族の為の書画

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 為易坊 比庵        為明子 比舟      為固坊 比庵  


比庵は家族の為の書画を残している。明子さん長女、易さん・固さんはお孫さんである。 

2007年06月20日

紙一杯の書

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  渡水復渡水看花還看花春風江上路不覺到君家
  わが宿も となりの庭も 東京の 到るところも 花盛りなり
                               比庵八十七

                   ☆

小生はしばしば紙一杯に画くので茶人から嫌はれもっと余白を置くことを求められる。茶掛といふものは昔から余白のことを勿体らしくいふものである。つまち、余白は多少によって余情を量るといふようなことは、割り切りすぎと思ってゐる。それに画の強さを求める為には、やはり余白がない方がよい。この強さといふことから画に限らず書でも小生はなるべく紙一杯にかかうとしている。
                           
うつくしきもの若くあり 強きものまた若くあり 年新らしく


つまり、強さといっても 若くありたいということである。しかし、若くありたいと云っても二十三十乃至四十五十の若さを願っているのではない。八十には八十のわかさがあるのである。
               (比庵随筆 昭和41年 比庵83歳)

比庵90代の書

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           青林翠竹              泉聲風竹  

比庵すずめ

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  朝日かげいまや障子にさし来りあかるく墨をすりて居るかも 
                                  比庵九十二

2007年06月18日

玉堂・比庵の合作

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  多摩川の白瀬のみゆる山の上の若葉の間より黒き蝶とぶ
                         画:玉堂  短歌:比庵

比庵と玉堂との邂逅は昭和16年頃より始まり、昭和32年玉堂の急逝までの16年間親交を重ねた。弟三渓の紹介で玉堂と出会った比庵は、既に画壇の第一人者として名声の高かった玉堂を神のごとくに崇拝し、玉堂もまた比庵の自在なる芸術境をこよなく愛した。
比庵は玉堂の力添えにより、毎年開催される「野水会展」には比庵・玉堂の合作が見られ、比庵の名は次第に世に出るようになった。  

比庵は月一度、玉堂の画室を訪問することを唯一の楽しみとしていた。比庵の訪問した日には、「今日は大事なお客なので、取り次がないように。」と書生に前置きされ、玉堂と比庵は子供がままごと遊びをするようにして、絵を描き短歌を詠みながら日がな一日を過ごしていたという、話しを玉堂の最後の内弟子・宇佐美江中画伯に伺った。玉堂は比庵に歌の添削を多くうけていたことは、玉堂・比庵の書簡から伺うことが出来るが、当時、玉堂が「先生」と称したのは、唯一比庵だけであったことも、宇佐美江中画伯の話から確認したことである。  

2007年06月17日

今良寛

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 今良寛といはれてわれは汗かきぬ本良寛はゐねぶりてござろう
                                 比庵 九十三


早くから良寛に私淑した比庵は、良寛の青年時代に修行した玉島の円通寺を訪ねては、その書と歌を賞賛した。良寛には「われ三つのきらいあり、料理人の料理、歌詠みの歌、書家の書」と言うのがあるが、それにもかかわらず万葉集を詠み、道風や懐素を学んだという。生涯一托鉢僧として一寺に定住することなく修行を重ねた良寛は、純日本的感覚の高い書風を打ち出した。比庵はそれを理想とし深く研究したのである。
比庵48歳の歌に「良寛をおもふ」三首がある。


・物乞いて満つれば歌を詠みにけん良寛僧のおもほゆるかも
・ともしきに満ちたらいつつ歌よみてつねにありがたくありにけむかも
・苔水のかそかに生きて天地に歌をしよまば満ちたらひけむ

2007年06月16日

比庵展・和

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                             和   比庵九十一

2007年06月15日

春風春水

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みやしろの屋根をまはりて鳴きかはす雀の聲と森のひよどり
                                 比庵九十二

2007年06月09日

清水比庵展・不動大名王

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邪を払い正を助けてわが世をば守らせたまへ南無不動大名王
                                      比庵

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       御題山
   山の下に山の重なり山の上に山の連なり朝のむらさき
                                     九十比庵

2007年06月08日

清水比庵展・桃

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    青葉庭くぐりて黒き蝶は飛ぶ端居してゐて人のうわさす
                                比庵八十五





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