2007年9月
- YEBISU GARDEN PLACE 13th Anniversary Event -
『書(KAKU)~想い、筆にのせて~』を開催
9/24(祝)に濱崎道子が出演します。
詳しくは 、
ガーデンプレイスをご覧下さい
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5月半ばのワルシャワ訪問の際に、在ポ日本大使館に表敬訪問をした。色とりどりのツツジがいまを盛りに、碧い空と緑の芝生に鮮やかに映えていた。田辺大使のご案内で庭園を散策しながら、慌しい旅の疲れを忘れるひとときとなった。大使は花が大好きで、四季折々の花を赴任早々に植えられたそうである。15.05.07

田辺大使




半天は雲厚くあり 半天はわが朝顔の花より碧し 比庵九十
☆
スペイン・バダボスにて、子供の日の書ワークショップ。バダボス市に初めてオープンした日本料理店「たぬきさん」のオーポニングサービスの催しで、濱崎が書の大字揮毫をした後に、子供たちが大きな紙に”祭”の文字を書いた。


スペインでの子供たちとの「書のワークショップ」の後、最も人気のあったのはボデーサイン。最初に腕白な男の子が「腕に書いてよ。」と言ってきたのに応じたが最後。次から次へと行列が出来、最初は嫌がっていた女の子達までもが「私も私も」と言って盛り上がってしまい、こんな誇らしげなポーズポーズになった。


05.05.07

ひょっこりと加島祥造先生が会場にお見えになりました。ビックリしました。案内状はお届けしましたが、まさかお出でいただけるとは。実は、加島先生は以前から比庵をしっていて、比庵の画集をお持ちとのこと。「日本の代表する人だよね。尊敬している先輩だよ。」と語っておられました。そして作品をひとつひとつ丁寧に観てくださいました。
清水比庵展本日午後4時までです

13日のギャラリートークは、清水比庵の孫・ワーデン充子氏の「おじいちゃんの思い出」でした。比庵に一番可愛がられた孫の充子さんは、60年も前のことを克明に覚えらして、比庵が孫を連れて笠岡に疎開する時に、上りと下りの汽車を間違えて大失敗したことや、比庵の日常を幼さなかった頃の充子さんの視点から語ってくれました。続いて、赤坂「佳境亭」の山上満智子さんからも、比庵の思い出を語ってもらいました。この日も娘の明子さん(98歳)が会場にいらして、皆さんと歓談されました。

本日もギャラリは満杯でした

赤坂「佳境亭」山上満智子さん 清水明子さん(右)と黒住夫妻
本日7月13日のギャラリートークは、「おじいてゃんを語る」の演題で、アメリカ在住のワーデン充子氏です。お孫さんからみた比庵像のほかに、外国人が見る比庵芸術なども語られます。
是非のご来場を!!

ショーケースには茶碗・玉堂宛の書簡・いろは帖が展示
ギャラリートーク第3弾、「コレクターが語る清水比庵」が7月11日に行われました。作品との出会いや比庵作品に対する思いなどを、展示作品に囲まれて、清水保夫氏と丸木和男氏が進行役の清水義光氏を交えて、熱く語りました。

中央が清水保夫氏、右端が丸木和男氏

中央が清水義光氏

和やかなトーク会場
比庵が直接歌を書いた帯を、雨の中、会場に持ってきてくださった方がいて、早速展示することにした。このような作品は数少なく、今回の展覧会ならではの展示時である。

直に比庵の歌が書かれた帯

ろうけつ染めの帯
比庵展2日目のギャラリートーク は、短歌雑誌「窓日」編集長の秋葉貴子先生でした。比庵芸術の柱となる短歌の話しに、観客は吸い込まれるようにして聞き入りました。

短歌雑誌「窓日」編集長の秋葉貴子先生

ギャラリートーク

比庵展会場風景
清水比庵展がオープンしました。
初日、午後2時から清水比庵の長女明子氏のギャラリートークが行われました。会場は200人ほどの観衆に埋め尽くされ熱気に包まれました。その中での明子氏のトークは、比庵にまつわる思い出やエピソードなどを、ときにはのジョークを交えながらの巧みな話術話に会場は盛り上がりました。98歳のご高齢とは思えぬほどのパワーにただただ観客は圧倒されました。また3時からはパーティーがあり、その会場ででも和やかな歓談が行われました。
本日、7月10日は午後2時から短歌結社「窓日」編集長・秋葉貴子氏のギャラリートークがあります。ご来場をお待ちしております。

清水比庵展会場

トークする清水芽明子氏

トーク会場
実業界から転身、川合玉堂らと深く交流し、1966年には宮中歌会始の召し人になるなど、「今良寛」と親しまれた文人・清水比庵の展覧会が久々に東京で開かれる。清水家やコレクターの所蔵する作品30点ほどを公開。まさに「比庵の歌・比庵の絵・比庵の書」が展開する。

富士の山見ゆるところにすむ人はあした夕べにたのしかるべし
比庵 八十九
比庵の歌・比庵の絵・比庵の書 展
"今良寛"と親しまれた 「清水比庵の芸術」
2007年 7/9(月)-7/14(土) am10:00-pm6:00
初日pm1:00から 最終日pm4:00まで
日本橋・小津ギャラリー TEL 03-3662-1184
ギャラリー トーク (pm2:00-pm3:00まで)
7/9(月) 清水明子氏父比庵を語る」(清水明子氏98歳)
7/10(火) 『窓日』編集長・秋葉貴子氏
「『窓日』と清水比庵・清水比庵の歌」
7/11(水) 清水保夫氏・丸木和男氏 「コレクターが語る清水比庵」
7/13(金) ワーデン充子氏 「おじいちゃんの思い出」

歌人・清水比庵
1883年 2月8日岡山県上房郡高梁町(現在高梁市)に生まれる。
1905年 京都帝国大学入学
1908年 京都帝国大学法学部を卒業、司法官となる。
1910年 判事に任官、後に退官。安田銀行に入社。
1915年 安田銀行横手支店に転勤する。青森に転居する。
1917年 安田銀行を退社、古河銀行に入社。
1924年 古河電気工業株式会社に入社。
1928年 古河電気工業日光電気精銅所経理課長になる。
1929年 二荒短歌会を主宰し、雑誌「二荒」を発行する。日光電気精銅所を退職する。
1930年 日光町より懇望されて名誉町長に就任。在任中同町の観光開発の基礎を築く。
1935年 号を「比庵」と改める。
1939年 日光町長を辞し、市川市に住む。
1942年 川合玉堂の実弟清水三渓と「野水会」を創立し、第1回展を銀座紀伊国屋書房画廊で開催する。以後15回展まで開催、32年玉堂死去により終結する。
1959年 郷里を中心として毎年個展を開催する。この頃、歌碑建立が続く。
1962年 奥村土牛、小倉遊亀、酒井三良の賛助を得て清水三渓と「有山会」を創立、第1回展を銀座松 屋で開催する。
1966年 宮中歌会始の儀の召し人となる。
1968年 歌誌「下野短歌」は「窓日」と改題、その主宰となり没年に至る。以後、精力的に短歌の指導
並 びに書・画・歌三芸なる作品発表を続ける。
1975年 10月30日永眠 享年92歳8ヶ月
清水比庵展実行委員会
http://www.michinokai.com
主催/清水比庵展実行委員会
後援 / 『窓日』短歌会・川合玉堂美術館・書道芸術社
連絡 清水比庵展実行委員会 info@michinokai.com

縦書きの書を横から書き上げる比庵
早くから良寛に私淑した比庵は、良寛の青年時代に修行した玉島の円通寺を訪ねては、その書と歌を賞賛した。良寛には「われ三つのきらいあり、料理人の料理、歌詠みの歌、書家の書」と言うのがあるが、それにもかかわらず万葉集を詠み、道風や懐素を学んだという。生涯一托鉢僧として一寺に定住することなく修行を重ねた良寛は、純日本的感覚の高い書風を打ち出した。比庵はそれを理想とし深く研究したのである。
比庵48歳の歌に「良寛をおもふ」三首がある。
・物乞いて満つれば歌を詠みにけん良寛僧のおもほゆるかも
・ともしきに満ちたらいつつ歌よみてつねにありがたくありにけむかも
・苔水のかそかに生きて天地に歌をしよまば満ちたらひけむ

すがの根の ながき春日にうらうらと
うつらうつらと ゐねむりてござらう 比庵七十八

今良寛といはれてわれは汗かきぬ本良寛はゐねぶりてござろう
比庵 九十三

寒雨連江夜入呉 平明送客楚山弧
洛陽親友如相聞 一片氷心在玉壷 比庵八十五
寒雨江に連って夜呉に入る 平明客を送れば 楚山弧なり
洛陽の親友如し相聞わば 一片の氷心玉壷に在り
(王昌齢「芙蓉楼送辛漸」)

竹やぶの 中にて鳴なける うぐひすの
梅の枝にはいまだ 来たらず 比庵九十三

南無観世音ぼさつ十方の諸悪諸善を救いたまへ守りたまへ
比庵は富士を数多く描いているが、その中でも赤富士は珍しい。オレンジの線一本に省略した茜雲が印象的である。

あしたより はれて暮れゆく くれないの
あなうつくしや あなくれないや 比庵
比庵は書・画・歌三芸について、次のように語っている。
歌、書、画の小生の三芸のうち、何を最も得意とするかといふことはよく人に聞かれるが、何を得意とすることもないけど、一番骨の折れるのは画で、一番骨の折れないのは書である。しかし一番枢軸となっているのはやはり歌であるやうに思ふ。つまり小生のものは何でも歌から発してゐて、歌を詠む為に、かやうな画をかき又書を作る。 「随筆集『紅をもて』笠岡の作家グループ」

家ばかりひしめき立てる山のなき端より端に虹をかけたり
比庵九十
比庵は中学時代から短歌に親しみ、独学ながら『万葉集』に深く傾倒した歌を多く詠んでいる。短歌雑誌「窓日」を主宰し、全国的な結社として今日まで引き継がれている。又書も画も独学ながら、若くして絵手紙の中に非凡な才能を示し、特に画については川合玉堂との交流から自由自在なる世界を見出し、80歳以降の作品には、円やかな雅趣溢れる書画歌三芸の世界を繰り広げている。その芸術世界界は見るものをも楽しませる、いわゆる「毎日佳境」の世界でもある。

半天は雲厚くあり 半天はわが朝顔の花より碧し 比庵九十