2008・Action
4月:4/5(土)-4/6(日)
寺家回廊「濱崎道子と仲間たち展」
書の展示とワークショップ
5月:玉堂没後50年特別展示
知られざる美しき交流「玉堂・比庵」展
会期:5月-6月
会場:青梅市・玉堂美術館/櫛かんざし美術館
ギャラリートーク : 5/31(土) 午後2時~ 櫛かんざし美術館
主催:玉堂美術館
6月:ふれあいコンサート・山形 文翔館
9月:濱崎道子書展・銀座鳩居堂
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今朝買いたての「鉄木」の箸で食事をしていて、何の調子にか前歯で箸を噛んでしまいました。「鉄木」というだけあって箸はものすごく固く、歯の方が「ガギッ」と音を立て感覚がなくなりました。何しろ一瞬のことで歯が折れれたのかと思いこわごわ触ってみると、歯の方は大丈夫のようですが、とにかく痛くて口を動かすことが出来ません。
早速、歯医者さんに行きレントゲンを撮りました。どうも歯茎の方に問題があるらしく、前歯が動かないようにギブスで固定されてしまいました。この状態でしばらくは様子をみて、結果如何によって今後の治療をしましょうと言うことになりました。先生の診察を待つ間に技工士さんが歯の掃除を始めましたが、前歯に触られはしまいかとヒヤヒヤものでした。奮発して買った「鉄木」の箸が、こんな大げさなことになろうとは誰が考えたことでしょう。ホント、一寸先は闇ですね。
午後からはおとなしくして、十句観音経を書いて過ごしました。

『あなたは「三光作戦 」を知っていますか』という青松寺のサンガ講座〈いのちに学ぶ〉会に参加させていただきました。
20世紀に日本が起こしたあの戦争は一体なんだったのか。このことは現代日本に生きる私たちが深く問いつつ歴史に学ばなくてはなりない、というサンガ講座の主旨で、今回は歴史の証言者である板倉清さんをお招きして、直接板倉さんから話しを聞くという勉強会でした。
板倉清さんは元皇軍兵士です。彼は中国東北部での「三光作戦」に参加し罪業の数々を行ったそうです。「三光作戦」とは、日本軍が中国の華北で行った殺光(殺しつくし)・焼奪(焼きつくし)・奪光(奪いつくす)という掃討作戦のことを言います。その板倉さんが自らの罪業を語ろうとするのですから、それは相当の覚悟をされてのことでしょう。板倉さんの真摯な告白は、「このような戦争を二度と繰り返さないために皆さんに正しく伝えておかなければ。」という、命がけの行動なのです。このような辛いことを告白する気持にさせたものは何か、なども語られました。
詳しくは、新日本出版社『あなたは「三光作戦 」を知っていますか』にまとめられていますので、そちらをご覧ください。中学・高校生・そして一般向きに書かれています。
共著の高柳美知子さんも一緒にお出でになり、時折説明を交えながらの勉強会でした。 
「いのち」 50×40cm
「比叡山の荒行「千日回峰」に挑んでいる延暦寺大乗院住職、星野圓道(えんどう)師(32)が13日、山中の明王堂(大津市)に9日間籠(こ)もる「堂入り」の行に入った。食事や水を断ち、不眠不休で不動明王の前で真言を唱え続ける最難関の苦行。堂入りする行者は6年ぶりで、戦後12人目になる。
午後1時、合掌しながら見守る信者約300人を前に、白装束姿の星野師が、半田孝淳(こうじゅん)・天台座主ら高僧の先導で入堂。星野師が本尊・不動明王の周囲を3周して経を唱える中、堂正面の扉が外側からかんぬきで閉められた。千日回峰は、比叡山中など約4万キロ(地球1周)を7年かけて踏破する行。堂入りは、700日を終えた行者が断食断水・不眠不臥(が)で真言を10万回唱え、不動明王と一体となることを目指す。1990年に出家、得度した星野師は2003年、千日回峰行に入った。堂入り終了後は、「当行満(とうぎょうまん)阿闍梨」と称される。 」

憧 30×20cm
とのニュースを見ました。その時、何故そのような過酷な難行をするのか?という質問に、かつて「千日回峰」されたという阿闍梨さんが、「憧れです。」と答えられたのです。座禅会や受戒会などに参加した時にも、「仏様に憧れなさい。」と言われたことを思い出し、「憧れ」の意味の深さを改めて考えさせられました。

地区の「福祉と文化の集い」に桂太極拳の会が参加し、十六式太極拳を披露しました。この太極拳は、二十四式太極拳の中の16が含まれているのですが、大きく異なるところは、回数が2回ずつであることと、左右反対のの形になっています。二十四式太極拳に慣れた人には、この左右反対がなかなか難しく、毎週の練習でようやく覚えてこの日に備えました。太極拳は健康のため、となれば、微妙に不ぞろいのところも愛嬌があっていいんじゃないですか!!


一昨日、愛宕山にあるビルの34階から、見事な夕焼けを見ました
その日は「お袈裟を縫う会・福田会」が午後からその場所でありました。夕方5時過ぎになると、大きく開かれたガラスばりの窓が真っ赤に染まりました。左側前方には東京タワー、ビルの彼方には丹沢の山々、そして富士山が望めます。あいにく今回は富士山は雲に覆われ見えないようですが…。
その壮大な夕焼けの中にスッポリと映し出された「お袈裟を縫う人たち」の姿が、「僧・佛」の鏡文字とあいまって、実に美しかったのであります。はい。このような恵まれた環境の中で、お袈裟を縫う事ができることは、まさに至福の時間でありました。

若いお坊さんのためのお袈裟・九条の仕上げをするメンバーさんたち。来月21日に「受衣作法」があります
☆
『正法眼蔵 袈裟功徳』を読む の紹介
著者 水野弥穂子 /発行所 大法輪閣 /定価 2100円

先週末から台湾に出かけていました。帰国したら急に寒くなっていて、うっかりすると風邪を引きそうです。今朝、散歩する鶴見川の川辺で、柿の木に絡まるカラスウリを見かけました。毎日通っていても気付かったカラスウリも、この寒さに急いで色付いたのでしょう。そういえば、これまで青々としていた雑草も、葉色を褐色に衣替えし、結実し始めています。異常気象の危機を案じられるつつ、今年も確実に季節は移ろいでいます。


庭のまんじゅしゃげが、いつもの年より10日ほど遅れて咲きました。今日は体育の日、11月の太極拳の資格試験に備えて特訓をしています。目の前に目標を立てないと一生懸命にやらないものでして…。いつまでも挑戦者でありたいと思います。
久しぶりに玉堂美術館を訪ねた。美術館には玉堂先生の画室であった「偶庵亭」が移築されていて、往時を偲ぶことが出来る。この偶庵亭の一角に清水比庵の「玉堂先生作天地嶽を讃ふ」と題する書が今なお掲げられいる。「比安」は比庵を名乗る前の号で、得意とする長歌で1930年代の作と思われる。10年以上前に訪れた時と同じ場所に今も展示されていたのには感激。改めて比庵と玉堂との親交の深さを窺うことができる。

「玉堂先生作天地嶽を讃ふ」 比安
うち日さす 都の奥所白雲の 多摩の郡に天そそる その天地嶽 大なるわが画たくみの朝には ふりさけ見つつ夕には 立居對ひて心をば なぐさめたまひ天地嶽 うべなうべな強く描き軽く刷りたる雪景色を いはむかたなくに日や 清く とうとく霊しく相成せる業うも天地造れる業か 画たくみのうつせる業か 神業神業 比安
比庵は、昭和17年(1942年)-昭和32年(1957年)の15年にわたって玉堂との交流があり、比庵は弟三渓と一緒に月一度の割合で偶庵亭を訪ねていた。聞くところによると、移籍前に「偶庵亭」のあった家が今も残っていることを聞き、早速青梅在住のS氏の案内で訪ねてみることにする。
「玉堂山房」の表札のある大きな門構えの旧宅は、御岳駅から線路沿いの細い道を5分ほど行った所にあった。嘗てはお医者さんの家だったそうだが、戦後から玉堂が亡くなるまで住まわれた場所である。ここに、比庵がたびたび訪ねていたかと思うと感慨深いものがある。杉皮屋根のどっしりとした構えは生い茂った庭木で包まれてはいたが、竹垣から覗くかぎりでは、「偶庵亭」は今尚瀟洒な佇まいを見せていた。
今は貿易会社の寮になっていて、週末に社員の憩いの場になっていると管理人は話していた。

玉堂山房の門構え 玉堂山房(玉堂筆)

古木と彼岸花との取り合わせが画趣豊かな佇まいを見せていた

偶庵亭は敷地の奥まった場所にあり、裏側に廻って往時を偲ぶことができた


御岳の玉堂美術館前の比庵歌碑に、真新しい釈文が立ちました。
川合玉堂の雅友
清水比庵翁の詠歌
山近く水急(はや)くしてまのあたり玉堂先生描きたまふや
清水比庵
今良寛といわれた比庵翁(1883年-1975年)は
今日一層の評価を高めている
釈文は、宇佐美江中先生(日展理事)の揮毫によるものです。
「福」 180×90cm
2007年4月に行われた「中国三門峡フェステバル」の作品図録が送られてきました。濱崎の作品「福」が表紙書になっていたので紹介します。172ページもあるぶあつい本で、ちなみに定価は186.00元。この展覧会は、中国・日本・韓国の作家100人からなる書画展です。