【甲骨文字をかく 7人展】  

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   【甲骨文字をかく 7人展】  

       銀座文春画廊 B1 セラー  (12/14-12/19)

       笠井紀公子 鹿島伯玉 澤田幸子 高野康山 

       中田世津子 濱崎道子 望月翠山

                     

 

甲骨文

 

1899年、清の国子監祭酒であった王懿栄と文字学者であった劉鉄雲の2人が、北京の薬屋で特効薬として買い求めた「竜骨」の破片に、文字の刻まれていることを発見。このことが甲骨文発現の契機となり、現在では、甲骨文は、中国殷代に行われた漢字書体の一つで、文字資料に認められる最初のものと言われている。

 

発現より110余年の今日では、甲骨文は中国殷代の武丁期に誕生した文字と判明。後に文字解読が進むにつれ、殷王朝の性格や組織など絶対的な神聖王朝の成立が解明され、宗教的色彩の濃い祭祀・農業・戦争などの重要な事柄は、全て王が神に問うといった占いによって行われ、甲骨文は、その為に使われたものである。亀の腹甲や牛の肩甲骨を用い、表面に生じた線状のひび割れによって吉凶を占い、その占の結果を墨または朱で書いた文章を亀甲や牛骨に刻した甲骨文は、左右対象のうえ、朱の色が神聖さを際立たせており、天との対話を為す占卜としては有効的なものであった。

 

亀甲や獣骨に鋭利な刃物で刻した甲骨文は、素朴な直線の構成と左右相称に近い造形には、既に古代人の美的造形感覚が作用しており、さらに文字を書き刻すという神聖な事業に対する中国人の美的関心とが相俟って、芸術の領域にまで昇華されている。このことが、次の周王朝では金文の完成を導き、やがて、現代中国の文字へと引き継がれていくのである。

 

 

 

 

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