2011年3月アーカイブ

【鎮魂】

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                     「空・くうシリーズ」より

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    お体を大切に、明日を信じて互いに頑張りましょう!!

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 震災発生以来、度重なる余震や避難所の被災者のことを思い、何も手につかな状態であった。予定していた旅をキャンセルし、イベントや研究会の全てを中止し、さらに電車で行く用事も止めて自宅に籠り、テレビに釘付けの2週間であった。いわゆる自粛である。出来ることといえば、ささやかな義援金を送ることぐらいで、次第に落ち込んでいった。

「今日も寒いですね。浪江の友達のご主人やっぱり亡くなっていました。入院中だったので別々に避難する事になり、ご主人はヘリコプターに乗る寸前に亡くなったらしく彼女は避難先で知らされたそうです。立ち入り禁止の地域で遺体は体育館に安置されたままの由。面会も許されず避難先で苦しんでいました。電話口で言葉もなく、お互いの嗚咽で苦しみをわけあいました。原発事故については言うに及ばず。溜め息と不安ばかりが募ります。」という友達のメールにさらに心が痛み、気持が萎えさらに気力を失っていくのわかった。自分までが被災者になったような気分になっていくのである。病的症状の始まりだったのかもしれない。

そんな時、書道雑誌『日本書法』が届いた。掲載されている書作品に眼を通していると、次第に書に励まされていく自分がいた。これまでに、「あなたの書に励まされる」「書からパワーをもらった」などと言われていたが、今回は他の人の書や言葉に励まされ勇気を頂いている自分に気付いたのである。このことが契機となり、2週間ぶりに我が日常を取り戻すことが出来たのであった。

今はまだ、ミルクや毛布や薬などの支援物資が必要だが、数ヵ月後、あるいは数年後に状況が落ち着いてきたら、次に心のケアが必要になってくるとおもう。そこで、書やアート、音楽の力が最大限に発揮されと思うので、それまで制作意欲に繋げるていく必要があり、「こんな時に」にではなく「こんな時こそ」頑張って、罹災していない国民が団結して通常の芸術活動を、今まで通り継続していかなければという思いに至ったのである。

大げさかもしれないが、自分は書を通じて社会に貢献する。書は、今すぐ被災された方たちを励ますことが出来なくとも、長期戦になると思われるので粘り強く、忍耐強い東北の人たちを見習いながら、共に頑張り、書の出番を待ちたい。7月の個展はチャリテー展にしたい。

                        ☆

 ティク・ナット・ハン2011来日ツアーが、残念ながらキャンセルになリました。

 

                    

 

 

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           外野にいる 私達が がんばらなくっちゃ!!

 

昨日、水道関係の方から、「被災地の水道復興の任務についている人たちの為に、檄文の書をお願いしたい。」という話がありました。私は即、協力させていただくことにしました。昼夜を問わず、困難な作業に取り組んでいらっしゃる皆さんに、檄文でご苦労を労い、この困難な時期を、みんなの力で乗り切りたいという上司の計らいのようでした。近々に出向いて檄文を揮毫します。

陶器を扱っていた方が、震災2日目にホームページを立ち上げ、子供用の品のみに限り義援物資を呼びかけたところ、全国から多くの品が送られ、それを分類して明日送るといっていました。個人からの物品受け付けの時期を待って、タイミングよく送るには、震災2日目から始められたという、決断とパワー、そしてネットワークに感心しました。

眼に見えないところでご苦労されていらっしゃる皆さんは、一日も早い復興のため頑張っていらっしゃいます。外野にいる私達ががんばらなくっちゃ!! の思いを強くしています。

今日はソメイヨシノが開花したということですが、心は浮き立ちません。

 

【心配です】

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連日報道を聞くたびに、日に日に未曾有の震災の凄まじさを思い知らされ、多くの被災された方々や、お亡くなりになられた方々のことを思うと心が沈みます。謹んでご冥福とお悔やみを申し上げます。

22日夜に遅くになって、石巻市に住む知人の無事を知りました。「家には水が上がり、車は流され、今まで避難所生活をしていた。今日、ようやく電気が来たので自宅に帰ってきたところだ。」と言っていました。これまで何度も電話しても、呼び鈴だけ虚しく鳴り続けてたので、ほんとに心配していました。「必要なものがあったら?」と聞くと、「そんなのいいよ。」と、東北人特有の遠慮がちの返事に、「アアこんなこと聞いてすまなかった。」と思いました。東北の人達の物静かで遠慮がちな忍耐力も、そろそろ限界に来ているのに、マイクを向けられた被災者の言葉は、先ずは感謝の言葉「ありがたい」という。私も東北人として、遠慮がちに生きてきた人達の本音がわかるだけに、胸がいっぱいになり、ほんとにみんな頑張ってい居るんだなーーとたまらなくなります。 日本国中のみんなが、それぞれの役目を通じて、不眠不休で頑張っているさ中にあって、一日も早い復興を祈りばかりです。

それにつけても心配なのは、放射能被害です。原発の一日も早い修復を願うばかりですが、幼い子の健康が心配なので、東京から京都に非難したという知人を、やりすぎじゃないと思っていましたが、今日になって、東京都区内等の水道水を乳幼児に飲ませないようにとの情報に、早々と避難した知人の選択もあったのかなと思ったりしています。

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                                              いのり
 
   一昨日紹介した、アメリカ在住の正子ジョンソンさんからのメールです。
 
 
何処にお住まいだったかわからなかったので、心配でした。一関なら内陸だし、
耐震工事を済ませたばかりの家なら百人力ですね!!ああ、よかった。
 
原発についてはこちらでも連日報道されています。アメリカの方がかなり敏感になっているようです。私がブログで紹介している大前さんの講義、私にはとてもためになりました。
原発の内部図を用意してメモをすると、今何か起こりつつあるのか、またこれから何をしなければならないかがわかってきました。気持ちも落ち着きます。
地元の感情が先走るラジオを聴いてばかりいるよりも・・・!
You tubeで「bbt 大前研一」などと検索し、
20万人以上の人が見た「福島原発」のヴィデオをご覧になってみてください。
 
どうか安全に過ごされますよう・・・。
お知らせ頂き、ありがとうございました。
 
 
母国を離れているからこそ、彼女のメッセージは強い。
 
 
 
 

【三葉の松】

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東北関東大震災後一週間が経ちました。依然として被災者の方々は厳しい生活が強いられていることを思うと心が痛みます。テレビの前で刻々と映し出される映像から眼が放せず、家にこもっていましたが、久し振りに外に出て見ました。ふと見上げた空に鈴なりのマツポックリが眼に入りました。珍しいな...と思い写真を撮っていると、「これは三葉の松といって、とても珍しいそうよ。」と、トンカツ屋さんの女主人が声をかけてきました。よく見ると、松の葉先が3つに分かれています。三葉の松は、神社・仏閣・学校などに植えられテイますが、学校の有る所も以前は神社・仏閣だったところが多いそうです。

ところが、ここは山を切り開いた街の一角で、今はトンカツ屋さんの前です。どんな経緯を辿ってこの地に移されたのかは知りませんが、女主人に、「こんな時こそ、みんな元気を出して頑張らなくっちゃね。その為にもトンカツを食べに来てよね!!」といわれ、そんな考えもあるかと思いました。子供達の小さい頃はよく食べに来てたのに、全く、松に気づくことなどありませんでした。女主人の声がけに、少しは救われた気持になりました。

三葉の松は、日本には自生せず、北米大陸東部や五大湖附近に多いそうです。日本には明治時代、殖産興業の一つとしてアメリカやヨーロッパからは入ってきたものとらしいです。この松は、「夫婦和楽」「家内安全」のいわれがあるそうです。 

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海の向こうより心配しております。何かとご不自由かと思いますが、ご無事でしたらぜひご連絡ください。何か出来ることがありましたらおっしゃってください。来る日曜日に行う演奏会の謝礼はすべて赤十字に寄付するつもりです。このメール、古矢先生と濱崎先生にもお送りしております。ご無事を祈っております。ジョンソン 正子

アメリカ在住のジョンソン 正子さんからのメールです。情報があればお知らせ願います。

             

夜になって、 何人かの知人の協力で、一関市の菅原聡先生の元気な声を聞くことが出来ました。無事を知り、ほっとしました。ありがとうございました。

 

 

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14日朝に電話が鳴ったので、被災者からかなと思い慌ててしまいました。電話を取ろうとして電気コードにつまずき  、いやというほど尾骶骨をフローリングに打ち付けてしまいました。
様子をみていても、痛みが止まらないので整形外科でレントゲンを取りました。打撲だけでヒビが入っていなかったので、ちょっと安心しましたが痛みがひどいです。 このところ、腰の具合が悪かったので、かばっていたことも原因かも知れません。こんな時こそ、落ち着いて生活しなければならないのに、不覚でした。反省しきりです。

毎日テレビの前で落ち着いて仕事が手につきません。これ以上の被害が起こらないことを、タダタダ祈るばかりです。気をつけて過ごして行きたいと思います。

   

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 メールで転送されました。

 

2011/3/13 Loving Kindness Temple <nhsisters@gmail.com>

日本の皆さん、

タイ(ティクナットハン師)から日本のみなさんへ向けてのメッセージです。
今から日本語に訳しますが、ひとまず英語のままお送りします。お好きなように転送してください。
プラムヴィレッジでは朝、晩と日本のみなさんの安全を願って、お経をあげています。

今日はタイの先生の法事と、震災で亡くなられた方々への供養のための式を我々僧侶と大勢のフランス人の方々とで行いました。
プラムヴィレッジ一同、皆さんが無事であられることを心よりお祈りしています。

シスターチャイ 拝

 

 

日本の皆様へ、


今回の悲劇で亡くなった多くの方のことを想うと、ある部分、あるかたちで我々自身も亡くなったのだと痛切に感じます。


人類の一部の苦しみは、全人類の苦しみです。また、人類と地球はひとつの身体です。そのひとつの身体の一部に何かが起きれば、全身にも起こります。


このような出来事は、命のはかなさ(無常)を我々に思い起こさせてくれます。お互いを愛し合い、助け合い、人生の一瞬一瞬を大事に生きることが、我々にとって一番大切なんだと。それが亡くなった人々へのなによりもの供養です。彼らが我々の中で美しく生き続けれるように生きるのです。


フランス、そして世界各国のプラムヴィレッジ寺院(瞑想センター)から、僧、尼僧、在家者の皆さんがともにお経をあげ、日本のみなさんに平安、癒し、保護のエネルギーを送り続けています。


みなさまのためにお祈りしています。


ティク・ナット・ハン

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3月11日の地震の余震は、一日経った今も起こっています。被災地の状況や避難する人たちのことを、TVのニュースや映像を見、全く他人事ではありません。被災地に住む親戚・知人・友人に電話が通じないので、安否も分からぬまま時間だけが過ぎていきます。さきほど、ようやく山形の親戚の安否を知りホッとしています。同じく山形の友人とは未だ電話が通じません。仙台宮城野区の知人のことも心配です。海外に住む友人からも、私の安否をきずかって地震見舞いのメールが届いています。みんなじっとしては居られないのです。私は当日、幼い子のお守を頼まれて室内に居りました。二度にわたる大きなゆれに慄きながら、必死で幼子を抱きしめていました。本当に怖かったです。被害は殆どありませんでした。

世の中が混沌とした今、この時期に起こった地震。何かの前触れのような気配がして恐ろしいです。被災地のことを思うと、じっとしては居られません。私に出来ることは何かを考えていた矢先に、☆書道ライフ編集部☆「とりあえず特別じゃない僕らが今できること」とのメールをもらい、じっとしてはいられない気持を形に表わさなくちゃと思います。


 

赤タイ(タン・デン)族のビエン・ガム村では、タン・デン女性の頭被り「バースン」を被ってもらった。沢山女性達が村の広場に出てきて、民族衣装を着て見せてくれた。刺繍の見事さに見とれて、ついつい欲しくなってしまう。

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今は着る機会もなくなった正装の衣装らしかった。

 ランテン族ナム・ルー村の女の人は、みんな民族衣装でした。髪の結い方に特徴があります。

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  竹紙を売りに来た人    庭先で衣装を縫う人    反物を売りに来た人

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     見物に来た人        藍染め          若いひと               

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機を織るおばちゃんに声をかけると、藍に染まった手を口に当てて笑う。その愛嬌にほだされ、おばあちゃんの反物を譲ってもらうことにする。。

 

 

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1月21日、ルアンナムターの初日は、午前7:30朝霧が降る中を先ずは、朝食抜きで朝市へ。生活雑貨や布など中国製の品が多い。朝食度、少数民族の村を訪ねる旅が始まる。

車を降りて5分ぐらいするとつり橋があり、それを渡るとランテン族のナム・ルー村である。民族衣装を着た女性達が藍染布を抱えて集まってきた。この村では、機織りと竹の紙漉きもやっていた。

村の一角で、3年前に亡くなった母親の法要を営んでいた。村の男性達が竹で祭壇を作り、そこに飾る人形や葉っぱを紙で作り、それに眼を書き入れていた。5日間の法要で今日は4日目。終ったらこれらを燃やす。ランテン族の信仰では、亡くなった人は地獄のようなところへ行くが、3年後に、この法要をすることによって、より良い来世へ行くことが出来ると信じている。もし、お金があれば、この法要をもっと早くにしても良いそうだ。この法要のため、ブタ5匹とヤギ1頭が屠られ、皆に供されたそうだ。台所では、大きななべに火がはいり、もち米を蒸す準備もしていた。

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この奥まった山合いには霊界があり、見えないものの声を聞く業がナム・ルー村の人達に受け継がれ、異界 で地獄に落ちた霊を、再び極楽の世界に呼び戻す為の儀式だという。神聖な儀式は、男衆

が取り仕切っていた。 

 

 

 

 

 

ルアンナムターからムアンシンに向かう沿道で、ランテン族のホンレイ村に立ち寄り、竹紙と藍染の木綿を買った。竹紙は薄手でぱりぱりしている。書き心地はどうなのか?この先、どんな村を訪問できるのか楽しみである。途中、アカ族の村があったが、ここは道路から遠望する。以前に観光客に痛い思いを受けたらしい、とのこと。夕方、ムアンシンのブーイーウ・ゲストハウスに到着する。

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  煮出した竹を水に晒す

 

 

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