2011年6月アーカイブ

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  今年は、コンサートで、特別ゲスト「書のム-ブメント」を行う他に、文翔館3階ギャラリー3にて、(財)山形県生涯学習文化財団・アトリエ・オアシスの共催による「濱﨑道子書展」を併設します。    

                    

 

 

  

 

アメリカから一時帰国した上児(ジョージ )・賢(ケン)君兄弟が、書道をやりたいといってアトリエに遊びに来た。5年生と4年生の元気な男の子。

はじめが肝心。用具の名前や使い方をしっかり覚え、神妙な面持ちで硯で墨をする。漢字で自分の名前を書いてみる。上児君も 賢君もなかなか筋がいい。慣れたところで、「得意の日本語は?」と聞くと、上児君は「サムライ」、賢君は「ブシドウ」だそうな。空手を習っている彼らの憧れなのかなー。

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  「侍 政元 上児」「   武士道 賢」、そしママは「日本」と、なかなか気合いの入った出来栄え。  

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  その後は、仲間が加わり「水書きグー」を使って、思う存分書を楽しんだ。

日本でのいいお土産ができたね!!  

 

 

 

 

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 ありがたいことに、昨日太極拳の仲間に雨靴の支援の話しをしたところ、長靴の持ち合わせがないので、募金をし、それで長靴を買って送ろうということになった。太極拳の練習が終るや否や、早速買いに行こくことになった。が、どこで売っているか検討がつかず、とにかく近くの大き目のスーパーに行ってみる。運よく靴売り場に長靴は置いて有ったが、サイズ毎に1足ずつしかなかったので、とにかく大人用7足を求め、スーパーから直接送ってもらうことにした。対応してくれた店員さんも感じの良い方で、荷物はとントン拍子で、翌日には仙台に到着した。

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おはようございます。早速、ブログに掲載していただきまして有難うございます。今回の被災者に対する支援は長期にわたりますので、どなたか都合つける方を幅広く探してお願いしているところで、このために無理をされることは本意ではありません。

と言うN氏から、前日に続き次のメールのあった。 

今回の長靴の件では、ブログに早速対応していただきまして感謝しております。東京の得意先で、前のソプラノ歌手島田祐子さんのご主人が経営している日本橋の島商さんでも、早速商談者用にテーブルに募金箱を設置しますとの返事を今朝いただき、能登の以前得意先だった方からも、近所と小学校(全校70名程)に当たってくださると言ってくれました。今回の件は、お願いするときに支援はし長期に渡りますので、無理はしないでくださいと依頼先にはお伝えしておきましたが、こんなに素早く動いてくれたことに、本当に感謝しております。

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テレビで眼にする東北の大雨に、長靴は必需品。とにかく一刻も速くと思った。支援の輪は、人から人へと伝わり、心から心へと伝わっていきます。

次回は、靴の品数をもっと多くし、再度現地へ送る予定ですので、引き続きご支援をお願いします。

 

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アジサイといえば梅雨。東日本震災地も梅雨入りしました。 

4月に、「心のケア」で訪問した東松島の被災地から、長靴の要望がありました。

「大人用、できれば底の丈夫なもの。新品だと尚結構。こども用は、少なくてよいと思います。(小学生用対象)。」とのことです。大人用ですと25.5、26、26.5cm辺りが欲しいとのことでした。

何方か、心当たりでもあれば、ありがたいです。

ご連絡は、info@michinokai.com にお願いします。



 

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「杉原千畝の足跡を訪ねる旅」で、リトアニア・カウナス、ポーランド・アウシュビッツ、チェコ・テレジン強制収容所・リディツェ村等を訪ねる。

杉原千畝(19001986)は、1940年大二次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害を逃れて多くのユダヤ人がリトアニアのカウナス日本領事館に押し寄せてきた。彼らは日本を通過するためのビザを求めて杉原千畝領事代理の前に現れたのである。当時の日本は、ドイツとの軍事同盟を結ぶ直前の微妙な時期であり、ユダヤ難民にビザを発給する状況ではなかった。杉原はくじの方針と人道のはざまで苦悩することになる。日に日に増える難民を目の前にした杉原は悩みぬいた末、独断でビ発給を決断。その後、侵食を忘れて書き続けたビザは、2000通以上、約6000人の命を救った。戦後、外交官を解雇された杉原は、外交官としての未知を断たれ、後半を民間人として過ごした。1986年7月31日、鎌倉で永眠。享年86歳。生涯自らがリトアニアでの出来事を語ることはなかった。

ビザ発給から29年後、自らの危険を顧ず、ユダヤ人を助けたとして、イスラエル政府から勲章を授与される。これを機に、西端100年には岐阜県八百津町に 杉原千畝記念館が開館、外務省には顕彰プレートが掲げられ、リトアニアの首都ヴェリニゥスに杉原追悼サクラ公園が開園、母校の早稲田だいがくにより顕彰碑が公園内に建立された。また、学校の教科書、オペラ、ミュージカル、テレビドラマ、書籍とうによって、杉原の功績は、いまや世界的に高く評価されている。

杉原千畝は、1939年にリトアニアに領事代理として赴任し領事館を開設した。1949年、7月18日早朝、ポーランドのウッジから多くのユダヤ人が日本領事館前に押し寄せてきた。ナチスの迫害から逃れるためには、シベリア鉄道でソ連を横断し日本を通過して自由の国に渡るルートしか残されていなかった。ソ連を通過するには日本のビザが不可欠であった。杉原は、ユダヤ人たちの窮状を日本に知らせビザ発給の許可を要請した。しかし、日本からは発給拒否の回答であった。日に日に増える難民を目の前にした杉原は悩みぬいた末、職を賭してビザ発給を決断。7月29日より大量のビザを発給し始めた。ソ連からの立ち退き命令や、日本からの通達機嫌の迫る中、杉原は領事館閉鎖後も叶うすのホテルで、又ベルリンに向かうためのカナウス駅でも、ビザや通行許可書を列車が動きだすまで書き続けた。

「私のしたことは外交官として間違いだったかもしれない。しかし、私に頼ってきた何千もの人を、見殺しにすることはできなかった。大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです。」                        杉原千畝                                         

                          ー杉原千畝研究会資料よりー

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リトアニアでは、首都ヴェリニゥスのネリス河畔の桜公園、そこにたつ顕つ杉原千畝記念碑、またカナウスでは、自宅兼日本領事館であった建物(現在日本文化交流センター)・領事館を立ち退いてから滞在した杉原ゆかりのホテルメトロポリス(旅の初日一泊する)、杉原千畝記念館をめぐり、改めて杉原足跡の偉大さと、その英断に感銘し、「愛と人道」の人たる確証を心に刻んだ。カナウスからポーランドへバスで移動中、ウッジ近くを通過したが、この遥かなる道のりを徒歩で何日もかけて歩き続けた人々にとって、生き延びるために唯一の選択肢だった。このような人達が、リトアニアのカウナス日本領事館に押し寄せ、ビザ発給を懇願したのである。実際距離感を体験し、いかに困難なことであったかが理解できた。

 

 

5月18日、旅の仲間は終日ワルシャワ観光の日に、私はポーランド日本情報工科大学で書ワークショップを行うため、単独行動となる。ポ日大には、前に何度か訪問していて今回は4年ぶりとなる。日本文化学部・副学部長の東保光彦先生がホテルまで迎えに来てくださる。10時から11時、11時30分から午後1時の90分授業を2コマ予定している。日本語の堪能なエバ先生と日本からボランティアでいらしている松山恵先生の協力をいただきながら授業を進めることにする。(内容については、ただ今工事中)

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                           右エバ先生 左松山恵先生

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「愛」の漢字が書きたいと言う学生だけに、形も線質も美しい「愛」を仕上げた。

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 半紙に押す印の草稿を練っている

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松山先生が、6月4日にワルシャワ商科大学での展示に書作品出品したということで、真ん中に私が「愛」を揮毫し、周囲に学生が寄せ書きをし、半紙作品と一緒に展示することになった。

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          美術科の学生と記念撮影  後列左 東保光彦先生

 

 

【愛と人道】

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翌日は、「旧領事館」「杉原千畝記念館」「カウナス駅・プラットホーム」を訪ねる。「杉原千畝記念館」では、「愛と人道」の書を寄贈をする。

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                   館長のシモナス 氏とガイドのオアンリュウさん

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                             杉原千畝記念館                                   旧領事館 

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                        展示室 

杉原千畝記念館は、国や公からは一切資金をもらわずに、個人の支援で運営されている。多くは、国外に住むユダヤ人からの援助だという。平成17~18年ごろ麻生太郎外務大臣の時に、日本からの援助で展示室が完成したそうだ。

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                        当時の執務室

                           

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   ソ連からの立ち退き命令や、日本からの通達により、9月5日の期限ぎりぎりにベルリンに向かうためのカナウス駅でも、ビザや通行許可書を列車が動き出すまで書き続けた「カウナス駅 」                                   

 

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                 ネリス河畔 さくら公園       2011.05.16 

【愛と人道の人】杉原千畝の足跡を訪ねる旅(リトアニア・ポーランド・チェコ)をする。リトアニアの首都・ヴェリナス到着後、ネリス河畔のさくら公園を見学。ここは10年前に杉原追悼桜公園として開園し、杉原の母校の早稲田大学により顕彰碑が建立された。団員の幾人かは植林に携わった人も居り、桜の生長を期待し、今回は満開の下でのカンパイを楽しみに日本酒も用意してきたのに、残念!!既に葉桜となっていた。

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       杉原千畝顕彰碑       日本酒カンイi!

ヴェリナスからカウナスに移動し、杉原が領事館閉鎖後もユダヤ人にビザや通行許可書を書き続けたホテル「メトロポリス」泊となる。「メトロポリス」は、杉原が二階の貴賓室に泊まったと言われる2つ☆のホテルは、杉原の足跡を偲ぶには充分すぎる古びたものであった。 

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                  ホテル「メトロポリス」と街並み

 


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